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あじあところどころ

スリランカ

  スリランカ料理の特徴
 スリランカの料理はそれぞれの民族ごとに異なるが、長い年月の間に互いの料理法が取り入れられたため、スリランカ料理はさまざまな民族料理の組み合わせとなっている。カレーは種類が多く、辛いものとそれほど辛くないものがある。
 スリランカ人は肉よりも豆類や木の実を好んで食べる。米かパンに、カレーまたはダル (豆のスープ)、キャベツやニンジンなどの野菜料理というのが一般的。
 バーガー人の作るケーキや砂糖菓子も有名で、この国の食文化の一部となっている。紅茶は食事のあとや、お茶の時間に飲む。

  食事のタブー
 スリランカにおける多数派民族は、シンハラ人。シンハラ人の大多数が信仰する仏教では食物に関するタブーは少ない。 しかし実際には仏教本来の教えだけではなく、土着の精霊信仰、迷信、ヒンズー教の影響も強く受けているため、食べ物に関するタブーはいろいろある。牛肉を食べない人は多く、また豚肉も食べない人もある。肉を一切口にしない人もある。シンハラ人の間では食物を火で焼くことはしない。よって焼肉や焼き魚はない。これらはごく一部で、そのほかにも、いろいろなタブーが存在するが、すべてのシンハラ人に共通しているわけではなく、都会では少なく田舎へ行くほど多く、高齢な人ほどその傾向が強いといわれる。
 タミール人などヒンドゥー教徒やイスラム系の人々はまた違った風習や信仰を持っている。ヒンドゥー教徒は菜食主義者が多く、そうでない人も牛肉だけは食べない。一方、ムスリムは豚肉を食べない。
 しかし、都会のレストランには焼き魚やステーキ、オーブン料理などが食べられるところもある。

  主食
主食は基本的に米。種類により粒の大きさや丸みに差異があり、白米のほかに赤米もある。赤米は五分付きぐらいの玄米で、糖層がピンクのもの。白米より栄養価が高い。
 ココナッツミルクを加えて炊いたご飯「キリ・バトゥ」(キリはミルク、バトゥはご飯の意)は 普段にも食されますが、縁起の良い食べ物とされ、正月や祝い事のある日には欠かせない。
 カハ・バトゥはスパイスをきかせ、ココナッツミルクで炊き込んだカレーピラフのようなもの。グリーンピース、タマネギ、カシューナッツなどが入っているものもある。
 チャイニーズをスリランカ風にアレンジしたような中華やきそば風麺料理ヌードルズもある。

  カリー
 スリランカ料理といえばカリー。多種類のスパイスと胡椒、唐辛子がたっぷり入って激辛。スリランカのカリーは日本のものと香りこそにているが、水分が多く、さっぱりしている。具はビーフならビーフのみなどと、単独の具が基本で、多くても2品ほど。カリーは一つの料理の名前というより、スパイスの効いた煮込み料理の総称といえる。
 肉や魚介のカリーはチキン(ククル・マス)、ビーフ(ハラク・マス)が主なもので、そのほかポーク(ウール・マス)、エビ(イッソ)、イカ(ダッロ)、カニ(カクルオ)などがある。野菜のカリーの具には、ホウレンソウ(ニウィティ)、ジャガイモ(アラターパル)、カボチャ(ワッタッカー)、ニンジン(キャロット)、ナス(バトゥ)、オクラ(バンダッカー)などがある。そのほかに豆のカリーがある。基本的にはメインになる単独の食材を、玉ねぎ、にんにく、生姜とスパイス類、それにトマトやココナッツミルクと一緒に煮込む。
 カリーは米飯とだけ食べるのではなく、米の粉で作った細い麺状の蒸し物(インディアッーパ)や アッーパ(米の粉とココナッツミルクを混ぜてクレープ状に焼いた物)、 ロティ(ココナッツ入り種無しパン)、パンなどと一緒に食される事もある。
 スリランカでは、食卓にカリーがならない日はないといっても過言ではない。庶民の日常的な食事では時には1種類、せいぜい2〜3種類のカリーが他の料理とともに食卓に並ぶが、祝い事のある日や特別な日は別で、それぞれ数種類づつの肉、魚、野菜のカリーと芋や豆のカリーがフルセットで他のバラエティーに富んだ各種料理と共にずらーと並べられてまさに壮観。

  カリー以外の料理
 カリー以外のメニューとしては和え物のサンボルが定番メニュー。タマネギとココナッツの炒め物のシーニ・サンボル、ココナッツのすり身とタマネギのみじん切り、チリ、ライム汁、モルディブ・フィッシュ(ウンバラカダ)の削り節をあえたポル・サンボルやみつばのようなゴトゥラのサンボルがよく食べられる。サンボルは一般的に生の和え物のことを指すが、シーニ・サンボルは長持ちするように炒めたもので、新しい調理法の一つ。
 マッルンは緑黄色野菜にココナッツとスパイスで味付けした炒め物。キャベツとココナッツを炒めたものやカンクン(空芯菜)とココナッツを炒めたものなどがある。
 スリランカ版コロッケのカトレット(とってもスパイシーで辛い)などもある。
 パパダンというチップスのような物はえびせんべいに似た風味で、よくカリーに添えられて供され、食べ方はそのまま食べてもよいが、軽く砕いてカリーと混ぜ合わせるようにして食べることもある。

  紅茶
 日本に入ってくる紅茶は、ほとんどがスリランカやインドのものというぐらい、世界的な紅茶の産地。
 スリランカ人は一般的にミルクと砂糖をたっぷり入れて飲む。そのほかにライムを絞って香りをつけるライムティー、生姜のスライスと砂糖を入れたジンジャーティー、カルダモンの粒を砕いて入れるカルダモンティーなどがある。


国のデータ
<国名> スリランカ民主社会主義共和国
<人口> 約1,873万人
<首都> スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(<商業首都> コロンボ)
<言語> 公用語(シンハラ語、タミル語)、連結語(英語)
<人種> 中華系76.7%、マレイ系13.9%、インド系7.9%、その他1.4%
<宗教> 仏教徒(69.3%)、ヒンドゥ教徒(15.5%)、イスラム教徒(7.6%)、ローマン・カトリック教徒(6.8%)

スリランカの特色
 スリランカは、インド洋に浮かぶ島国。スリランカとは「光輝く島」という意味。1972年に国名をスリランカと制定したが、それ以前はセイロンと呼ばれていた。  赤道と北回帰線に挟まれた熱帯に位置し、四季はなく一年中天気は良い。国の中央は丘陵部で、周辺地域は大部分が平地である。
 古代から仏教王国として栄えてきた。現在も残るその大遺跡は、世界遺産に指定されている。
 主要産業は繊維製造業と農業(紅茶、ゴム、ココナツ、米作)で、紅茶はセイロンティーとして世界的に有名。また、宝石の産出量も多く、重要な輸出品のひとつ。その歴史は古く、紀元前10世紀、ソロモン王がシバの女王のハートを射止めるのに使ったルビーがスリランカのものだったといわれている。

スリランカの歴史
前483年ウィジャヤが北インドからランカー島へ移住し初代のシンハラ王となる。
前377年首都アヌラーダプラ建設。
前250年インドのマウリヤ朝の国王アショーカが使者マヒンダを派遣し仏教を伝える。
前161年タミール系(南インド系)の人々がアヌラーダプラを征服。すぐにシンハラが奪還。以後、両者の間で征服と奪還を繰り返す。
1017年タミル系のチョーラ王朝が、ランカー島の大半を支配。シンハラ王朝アヌラーダプラからポロンナルワに遷都。
1200年ジャフナ半島にタミル人のタミル王国ヤルパーナムが建国される。
1371年シンハラ王のアラーガコナーラ3世が、コーッテ王国を開く。
1474年キャンディ王国興る。
1505年ポルトガル人による植民地支配の開始。
1597年コッーテ王国のダルマパーラ王が死去しランカー島をポルトガルに譲渡。コーッテ王国滅亡。
1618年タミル王国ヤルパーナムでカトリック信者による反乱が発生。
1619年ポルトガルが、ヤルパーナムのカトリック信者を支援すると称して軍隊を派遣。タミル王国の国王が捕らえられタミル王国滅亡。
1627年オランダが、キャンディ王国に使節を派遣。
1658年オランダによる植民地支配開始。
1670年キャンディ王国、オランダの支配地域を攻撃。
1766年オランダとキャンディ王国との間に和平条約。キャンディ王国の一部をオランダに割譲。
1796年イギリスが、オランダ支配地域を奪取し、イギリスによる植民地支配はじまる。
1802年オランダが、イギリスにスリランカを譲渡するアミアン条約に調印。
1815年イギリス、キャンディ王国の内乱に乗じてキャンディ王国を滅ぼす。キャンディは1つの州となる。
1915年キャンディで、シンハラ人とムスリム人(大半はイスラム教に改宗したタミル人)の暴動発生。
1947年独立法案が議会を通過。イギリスが、セイロンに完全な独立を付与する協定に調印。
1948年英連邦内の自治領「セイロン」として独立。
1955年国際連合に加盟。
1956年SLFP(スリランカ自由党)が政権を取る。ナショナリズムの高揚のためシンハラ語を公用語にし、タミル人からの反発をまねく。
1972年「スリランカ民主社会主義共和国」と国名を変更。仏教の準国教化、シンハラ語の公用語化でタミル人はスリランカ北部東部の分離独立を要求。
1978年大統領制に移行。民主化へ向かう。
1983年LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)がスリランカ政府軍兵士を襲撃。それを受け暴動が発生、タミル人大虐殺へと発展。以降政府軍とLTTEの戦闘が断続的に続く。
1987年インド・スリランカ和平協定、インド平和維持軍(IPKF)が進駐。
1990年IPKF成果上がらず完全撤退。
2002年政府、LTTE間で停戦が合意。

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